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Guitar room & Music world

お気楽なギターの話とetc.

過去のライブ体験・TOTO編

70年代にはスタジオミュージシャン達が脚光を浴び始めて、当然彼らも気の合ったミュージシャン同士でバンド活動を始めて行った時代でした。

イギリスではスタジオ活動を一切止めて、ロックバンドに専念するミュージシャンは60年代からいましたよね。クラプトンやジミー・ペイジやリッチー・ブラックモアやらビッグネームもそうだったはずです。

70年代のアメリカではイギリスとは少しばかりニュアンスが違っていました。
スタジオ活動では出来ない自分達の好きなサウンドを気の合った仲間とセッションに近いノリで始めたんではないでしょうか?NYの筆頭が「スタッフ」でしたよね。

LAの場合NYとは少し状況が違っていましたよ。どちらかと言えばビッグアーティストのバックバンドがそのままバンドとしてデビューするパターンが多かった様に思います。

リンダ・ロンシュタットのバックを努めていたバンドが70年代のアメリカンロックの最高峰と言われるイーグルスでしたし、その後の彼女のバンドもRO-NINなんてバンドでデビューしましたからね。ザ・バンドもディランのバックを長くやっていたようですし。

TOTOもボズ・スキャッグスのレコーディングやツアーでバックを努めていたバンドです。正確に言うとツアーでは初期の頃はTOTOプラス、ギターにレス・デューディックが加わっていました。レス・デューディックのソロアルバムでは若かりし頃のジェフ・ポーカロが参加していました。(当時のポーカロは17~18歳だったと思います)

イギリスと違ってアメリカのセッションバンドはどのバンドもセッション活動は個々に続けていました。アメリカ人らしいと云えばそれまでですが、TOTOはあそこまでビックなバンドになるとは当初は思いませんでした。デビュー・アルバムからサード・アルバムまではかなり聴き込みました。TOTOシャッフルと我々が呼んでいた跳ねる16物はだいぶ練習しました。余談ですが、キーボードプレーヤーはTOTOが良く使うホルン系の音をTOTOホルンとシンセにインプットしていました。

セカンドが出た直後、確か80年にTOTOが初来日したんですよね。当然見に行きました。渋谷公会堂でした。今時だったら武道館かドームでやると思うんですが、当時のTOTOは何故か渋谷公会堂でした。

TOTOを見るのは最初で最後でした。私個人は個々のメンバーに関して言えばセッションでのプレイの方が好きだったからです。ちなみにルカサーのナンバー1セッションはウィルソン・ブラザースのアナザー・ナイトとボズのミドルマンだったっと思います。

話しは横道にそれましたが、来日公演の事ですが全体的にあまり好印象は持っていません。ボーカリストがやたらとはしゃぎまくっていたのと、レコードと比べると随分とラフで全体があまり良いバランスで演奏が出来ていなかったと思いました。基本的にスタジオで音作りをするバンドだと思うで、初期のライブは良くなかったんだと思います。

ルカサーも途中でアンプの調子が悪かったのか、何度かローディーが出て来てアンプの調整を一生懸命にやっていました。音が出なかった部分もあったんですよね。ただ、ジェフ・ポーカロは大好きなドラマーだったので若い時の彼のプレイを見れたのはとても良い経験でした。

ポーカロも他界してしまい、TOTOとしてのメンバーチェンジも何回かあって当時のTOTOは音源でしか聴く事が出来ませんが、今でも頑張っているのはとても嬉しい事です。先頃来日したみたいですが、新メンバーのベースのリー・スクラーの加入には個人的にびっくりしています。私の印象ではユーミンの中央フリーウェイのベースプレイがフェイバリットなので、TOTOでのプレイが想像付かなかったです。

ルカサーは今も昔のままのギタープレイを突き進んでいるようで、勇気付けられます。今の彼が弾くクリーントーンでのソロを聴いてみたいです。
  1. 2008/11/02(日) 21:57:13|
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過去のライブ体験・VSOP編

VSOPは今でもジャズ界の巨匠であるハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、フレディー・ハバード、ロン・カーター、故トニー・ウィリアムスが70年半ばに1度だけ(実は1度で終わらなかったんですが)と言う事で結成したスーパーグループでした。

高校生だった私はVSOPってお酒の名前かな?と思ったんですがVerry Srecal Oneナントカの頭文字を繋げたネーミングだったんですね。正確には忘れてしまいましたが、1回だけの特別企画って意味だったと思います。アメリカ建国200年の記念の企画だったとも言われていました。

VSOPは最初は4枚組みのライブアルバムをだしたんですよ。まだジャズを本格的に聴いていない私でしたが、何だか凄いレコードだと思って買いました。

アルバム全部を上記の4人で演奏していた訳ではなくて、後半はセットが替わって色々なミュージシャンが参加していました。今思い当たる所ではギターをバリバリに弾いていた時期のレイ・パーカーJr、ワウワウ・ワトソン、ポール・ジャクソン、バスター・ウイリアムス・・・etc。
(CDを手元に持って来れば全部書けるんですがこのブログの趣旨は全て記憶だけで書く事にしているので勘弁して下さい)早い話がメンツを見てもらうと分かりますが、セットによってはバリバリのジャズからジャズフュージョンまでレコードとしては聴きごたえのあるレコードでした。

聴き始めた私が一番気に入って聴いていたのは、アルバムの最初にあるメンバー紹介の部分でした。メンバー紹介から確か「アイ・オブ・ザ・ハリケーン」に突入するあたりはジャズって格好いいなって思ったもんです。

レイ・パーカーの入ったセットも大好きでした。レイ・パーカー独特のカッティングから曲が始まって、これ又当時大流行のワウワウ・ワトソンのワウワウを駆使したカッティングが絡んでくる所は随分コピーもしました。

余談ですが、あるステージのサウンドチェックでレイ・パーカーのカッティングをしたら、他のメンバーから、かなりウケが良かったのが思い出されます。その時のキーボードがギターのカッティング大好きなキーボードプレーヤーで私が彼にカッティングパターンを事細かに教えたら、あるステージでキーボードを弾かずにギターを抱えてカッティングをやっていました。そのあるステージって久保田〇伸さんのステージでした。テレビで見て私は飲んでたコーヒーを吹き出したのを覚えています。

話しは横道にそれましたが、そのVSPOが来日する事になったんです。会場は今はもう無くなってしまった田園コロシアムで真夏だったと思います。ライブの名前は「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」と言う名前だったと思います。私が高校2年の夏だったのは間違いありません。席はかなり前のいい席で、高校生の分際でもの凄い(その頃はどの位凄いかも分かっていなかったはずです)演奏を間近で見れたのはとてもいい経験でした。私が一番気に入っていたメンバー紹介の部分もレコード通りやってくれたのが感激でした。

正直言って当時はドラム&ベースの作り出すリズムの良さくらいしか理解出来ませんでした。ロン・カーターは聴いてはいましたが、ジム・ホールとのデュオのアルバムだけだったので地味なベースプレーヤーとしか思っていませんでしたが、真夏に野外でトニー・ウィリアムスとのコンビネーションを聴いてビックリしたもんです。ソロプレーヤー達のアドリブははっきり言ってまだ理解出来る所まで私が辿り着いていませんでしたが、凄いという事は肌で感じました。

印象に残っているのは、トニー・ウィリアムスがドラムソロを始めると観客がステージ裏の席になだれ込んで行っていたのが印象的でした。今の時代と違って警備員の制止も無く大らかなコンサートでした。願わくばもう一度あの4人でする演奏を、今の私が観て見たいと思います。

You Tubeで見つけたフレディ・ハバードの演奏する私の大好きな曲ミスティは世界一の美しさだと思います。

17才の多感な時にいい時代のいい音楽に接する事が出来たのはその後の私に大きな影響を与えている事は確かです。
  1. 2008/10/12(日) 09:04:49|
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過去のライブ体験・ラリー・カールトン編

ラリー・カールトンは、はっきり言って好きなギタリストを挙げろと言われれば3本の指に入る存在です。カールトンのライブは多分一番多く観て来たと思います。最近はすっかりご無沙汰していまが、間違いなく一番観て来たギタリストです。

数ある彼のライブの中でも最大の衝撃は、五輪真弓のバックで来日した初来日の時にお忍びに近い形でオープンしたての六本木ピットインでの単独ライブでした。ギターも輸送の関係で日本でレンタルしたと思われるワインレッドの335とヤマハのセミアコを使っていました。(自慢じゃないですが私のと全く同じタイプの335でした、後日カールトン使用ギターとして売りに出ていました)

今では彼の代表曲「ルーム335」もこの時のライブでは「サマー・サン」と紹介されていました。(その後FMで放送した時も同じでしたので、間違えないです) 17歳の私には理解を超えたギターを目の当たりにして、ショックで口が聞けなかったのは今でもハッキリ覚えています。

次に観たのは何年か後の単独で来日公演をした時で、渋谷公会堂で2日連続で演ったのを2日共観に行きました。この時は既にカールトンブーム真っ只中で、客席では望遠鏡で観ている観客もいる始末でチョット演奏を聴く事に集中出来なかったです。

その後何度か観ましたが、一番良かったのは“「ブルー・ノート」で観たカールトンでした。ライブハウスで観るのはやはり彼のいい部分を真近で感じる事が出来るので、本当にいいライブでした。そのライブは何故かビンテージのストラト(サンバーストにローズネック)で押し通していましたが、さすが彼の手にかかるとストラトも充分にカールトンサウンドがしていました。ダンプルのアンプで弾いているのを観たのもその時が最初でした。この動画です。



一時のカールトンはちょっとサウンド的に好みから外れてしまった時期があって、私個人としてはエフェクトが掛かり過ぎの感がありました。チョット過剰にディレイを掛けたり、歪みが妙にキツイ時期がありました。「レイラ」をカバーしていた時期です。

初期の頃、クルセイダースで演っていた頃のサウンドを今聴くと本当にいい音がしています。クルセイダースの「南から来た十字軍」のオープニング・ナンバー「スパイラル」のギターソロは衝撃でした。コードチェンジに対して見事にコントロールされたフレーズは、今弾いても素晴らしいアプローチだと思います。

カールトンは元々セッションギタリストでしたので、数多くの名演をあちらこちらで残しています。確かにソロよりもセッションでのギターの方が良かったりもしました。私がカールトンのセッションで最も好きなのはドナルド・フェイゲンの「ナイト・フライ」のラストの曲です。



この曲ではソロはとっていませんが、シャッフルでのバッキングワークが前面に押し出されていてボーカルのバックでこれ以上ないセンスで抜群のバッキングをしています。時期的にも音の感じかも、EMGの付いたバレイ・アーツを使っていたと思われますが、抜群の音色で弾いています。何度聴いても鳥肌もんです。

残念な銃撃事件後にロスを離れてからの彼のギターサウンドは、本当に“円熟”した音で初期の頃よりも今の私には心地よく感じます。

「サファイア・ブルー」のジャケットを良く見ると、ピックの持ち方が昔と変っている事に気が付いてビックリしました。真似した訳では無いのですが偶然にも今の私も同じ持ち方です。それぞれのミュージシャンも年代によって出す音が変化して行くのが面白いですね。

カールトンのギターは、完コピした曲も数多くありますし、所々美味しい所だけコピーしたのは数限りなくあります。ギタリストの個性が一番出てしまうチョーキングなんかは、彼のを頂戴した部分が多いと思います。

彼のギターは、ポジショニングまで正確にコピーしないとフレーズ自体のニュアンスが大分変ってしまうので、結構苦労しました。弦のゲージが細かった時期があったのか、アンプのチューニングのせいか、3弦と4弦・1弦と2弦の区別が付き難い箇所が結構あって苦労しました。(ポジショニングは間違ってコピーするとクラプトンのクロスロードのイントロ状態になってしまいますからね、全くニュアンスが変ってしまいます)

コードに対してのアプローチもコピーしてみて、なるほどと思わせる所が随所にあって随分と役に立ちました。「ルーム335」の頃は、あるコードに対して別のコードのトライアードでコード分解したフレーズを弾いていました。これは随分と勉強になりました。

最近のをコピーしてみると、意外とブルージーなフレーズはジョー・パスが使っていたフレーズを上手く取り入れていたり、チョット意外な感じでケニー・バレル風なフレーズもあったりして、彼も随分研究していた跡が伺えて嬉しくなってしまいます。

そんなこんなで去年の東京ジャズで観れなかったので、今年は十数年振りに彼のライブを観にいく事にしました。どんなギターを聴かせてくれるか今から心待ちにしています。好きだった昔の人に会いに行く感覚に近いです。
  1. 2008/08/13(水) 00:24:57|
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過去のライブ体験・ディープ・パープル編

私が初めて外国ミュージシャンのコンサートを見たのは何を隠そう「ディープ・パープル」です。

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中学生時代は、どんな音楽でも聴きあさりましたがやはり一番聴いたのはハードロック。中でもパープルは一番聴いたと思います。中学生時代には既に「ライブ・イン・ジャパン」が発売されていて、スタジオ盤とは違うライブの臨場感ある演奏に圧倒されていました。

中学生時代にパープルもメンバーチェンジしてしまい、「バーン」が出た頃はボーカルとベースが代わってしまいましたが素晴らしいアルバムでした。今ではそのメンバーのカリフォルニアジャムの映像もDVDで見る事が出来ますが、当時はFMでやったのをエアチェックして一生懸命コピーしていました。

75年11月にパープルが来日する事になったんですが、残念な事にギターのリッチーはすでに脱退してパープル初のアメリカ人のトミー・ボーリンが加入したバンドになっていました。
ただそのメンバーで出した、世間的には不評だった「カム・テイスト・ザ・バンド」は個人的に凄く好きなアルバムでした。バラードの「ディス・タイム・アラウンド」なんかは今までのパープルではあり得ないシットリとした名曲だと思います。

75年、私は中学3年生でした。今までは外タレのコンサートって中々行けなかったんですが、パープルが来ると知ったからには行かない訳にはいきませんでした。場所は日本武道館。その後何度も足を運ぶ事になるホールですが、行ったのはその時が初めてでした。

チケットの取り方も良く分からない子供でしたので、何から何まで初体験でした。確か電話で予約をして、銀座のチケットセンターみたいな所に後日チケットを取りに行った覚えがあります。12月にコンサートがあったんですが、なんと高校入試前の最後の期末試験とほぼかち合っていたと思いまが、そんな事は関係無く本人は異様に盛り上がっていました。そんな事情で一緒に行ってくれる友人は一人も居なくて、結局中学3年生の私一人で行く事になってしまいました。

事前に調べて竹橋駅から歩けば近い事を確認してから行ったんですが、駅を降りて人波にくっついて行けば自然と武道館に到着していました。ところが帰りはしっかりと道が分からなくなってしまいました。何処をどうやって歩いたか分かりませんが東京駅に着いてしまいました。(子供だったんですね)

当時のコンサートは前座バンドが演奏する事が多かったと思います。パープルの前座はなんと「四人囃子」でした。前座バンドもかなり好きなバンドでびっくりしてしまいました。

前座のバンドって30分程で演奏が終わって、パープルが登場してビックリしました。前座バンドは明らかにサウンドチェックを兼ねていたとしか思えませんでした。なんとパープルのボリュームは5倍は出ていました。とにかく音が大きかったのが印象的でした。以前は世界で一番音の大きいバンドと言われていたバンドですから。さすが凄いボリュームでした。

トミー・ボーリン自体はあまりいい演奏では無かったと思いました。ステージアクションが派手過ぎてあまり良くなかったと思いますが、後で聞いたところによると骨折していたらしいです。YAMAHAのギターを使っていたのも印象的でした。

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ただ初めて見るロックコンサートに興奮しない訳はありませんでした。イアン・ペイスのドラムは30年以上経った今も目に焼きついています。

ディープ・パープルを見たのはその時が最初で最後でした。高校生になってからはロックから少し離れてしまい、大人になってからは中々行くチャンスが無くて残念な事になってしまいました。リッチーだけは見ておけば良かったと後悔しています。レインボーは何度か見に行くチャンスがあったんですが、既にハードロックのコンサートに足は向かなかったです。

プロになって一度お遊びでリハの合間にパープルの曲を演って、みんな異様に盛り上がったのがとてもいい思い出です。最初は適当に演奏してたんですが、徐々に気合が入ってしまいました。確か六本木のピットインか屋根裏で和田アキラさんを中心としたパープルのコピーライブをやっていたと思います。大人になってから演るパープルって盛り上がるんですよね。

たまに昔コピーした曲をレコードと合わせて弾くと、とても盛り上がります。
  1. 2008/08/01(金) 22:01:58|
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過去のライブ体験・渡辺香津美編

渡辺香津美さんです。我が家では“渡辺香津美先生”と呼んでいます。私世代のギタリストで、彼のギターを聴かなかった人は居ないのではないかと思います。今でも日本のジャズギター界を引張ってる素晴らしいギタリストだと思います。

70年代後半のフュージョン・ブームの時期に、ジャズの世界からの斬新なアプローチで日本中のギタリストの目標になっていました。

そんな彼のライブは何度か見ています。最初に見たのは間違いなく新宿のピット・インでした。高校生だった私は、ストレートなジャズを演奏する彼のギターに圧倒され「ジャズって凄いな」と思うばかりでした。その時のメンバーは、私の記憶が確かならベースは当時いつも一緒にやっていた井野さん、ドラムは風間さん(5~6年の後にまさか私が一緒に仕事をするとは夢にも思いませんでした)ピアノは多分ですが益田さんだったと思いますが、ピアノに関しては定かではありません。

ライブの方ですが、正直高校生の私にはどこが良くて、どこが悪いのかなんてのは分かるはずも無い訳で、ただただ真近で凄まじいギターを見せられ、やる気になったのを覚えています。彼が出版したジャズギター教則本は何冊か買って練習しました。

次に彼を見たのは同じピット・インでも六本木の方でした。前回見たライブとの間隔は随分空いていましたが、レコードで常にサウンドはチェックしていたので、さほど久し振りと云う感じはしませんでした。私の方も前回の時より、音楽的に少しは聴けるようになっていたので、本当の意味で彼の演奏の素晴らしさを初めて見た感じがしました。

その時はアレンビックを使っていました。かなり深いディレイを掛けて(アナログディレイでた)ソロでバラードを弾いていたのがとても印象的でした。未だにあの時のギターの音は記憶の中にしっかりと刻まれています。

曲名の方ですが、まだジャズの知識があまりにも無く覚えていません。美しいバラードの曲だった事は確かです。前回見た時とは別の、しっかりとしたバンドアレンジのしてあるライブで、やはり素晴らしい演奏でした。正直なところメンバーは覚えていません。ドラムは確か青山純さんだったとは思うんですが、キーボードも確か笹路さんだったかと思います。

その次に彼を見たのは、あるイベントのライブでした。イベントと言っても有名な写真家(名前は覚えていませんが日本人の方です)とジャズのコラボレートというイベントで、84年か85年あたりでした。バブルの頃ってこんな感じのイベントが色々なジャンルで行われていましたよね。

場所は赤坂のオフィスビルの地下のイベントホールの中でした。赤坂と言っても、霞ヶ関の交差点からすぐの所です。何故かチケットが私の所に回って来て、ギタリストだから見に行ったら?くらいの軽いノリで渡されたチケットでした。友人を誘って早速行ったんですが、普段はギャラリーに使っているようなスペースでしたのでとてもライブをやるには少々狭いかな?なんて思いましたが、演奏が始まってみれば過去に私が見た彼の演奏の中ではナンバー1でした。

写真とのコラボって事で、大きなスクリーンに大変美しい写真を映し出してそこにピアノの佐藤允彦さんと彼の即興に近い形のデュオで演奏する訳です。その時に使っていたギターはトレードマークともなっていたスタインバーガーでした。

音の方はクリーンなトーンに空間系のエフェクトを上手く使っていて素晴らしい音でした。ピアノとのデュオで全く対等に渡り合い、即興に近い形で繰り広げられる演奏は本当に素晴らしいを通り越していました。狭いスペースだったお陰で、素晴らしい演奏を真近(2~3メートルくらい)で見れた事は一生の宝物だと思います。

イベントの内容がそんな具合なので音楽関係以外の方が多かった様ですが、そんな事は関係無く素晴らしいパフォーマンスでした。当然その場限りのデュオでしたので、同じ2人でやるなんて事はもう無いでしょう。その場に居られた私はとても幸せとしか言えません。

知っている曲を演ってくれたのは「マイ・フーリッシュ・ハート」だけでしたが、この時のこの演奏だけはもう二度と聞けないくらいの美しさでした。

彼の大きなホールでやるライブは見た事がありません。現役引退前に恵比寿ビールの跡地に出来たファクトリーで窪田君のバンドにゲストとして彼が3曲程弾く事になり、そこのバンドのドラマーと大の仲良しだった私は早速リハにお邪魔して見学させて頂きました。挨拶した際に握手までして頂き、本当に感激しました。

物腰の柔らかい人でリハーサルでも年下のミュージシャン相手にもかかわらず、常に敬語を使っていたのが印象的でした。ジャンルの違うバンドにゲストで弾いたんですが、とてつもなく凄い演奏でした。アシスタントの方が大勢いて、セッティングや撤収の素早さにも目を奪われました。

昔も今もこれからも、目標であるギタリストである事に変わりは無いです。
  1. 2008/05/31(土) 23:00:25|
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