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Guitar room & Music world

お気楽なギターの話とetc.

私が使っていたエフェクターの話②

エフェクターと呼べるかどうかは分かりませんが、私がどんな時にも絶対に使っていたのが(82年くらいからです)インターサウンドのプリアンプでした。

インターサウンドのプリアンプを知ったのは、スタジオギタリストで有名な“今剛”さんが使っていたからです。今さんの唯一のソロアルバム「スタジオキャット」のジャケット写真に写っている例のプリアンプです。今さんも常に使っていたようでした。ちなみにスタジオキャットって日本のフュージョン界では歴史的名盤だと未だに思っています。

ライブでギターを弾く際にもスタジオ録音の音の再現を求められたり、ちょっとしたスタジオ録音でもライン録りが大流行していた時期で、私もライン用にプリアンプを色々と試していた時期でした。
当時はプリアンプって意外と少なくて、代表的なところでアレンビックのプリアンプなんかがありました。確か日本のメーカーからもいくつかのプリアンプが出ていたと思います。TCのプリアンプも使ってはいましたが、どちらかと言うとパラメトリック・イコライザーに近い雰囲気のプリアンプでしたのでライン録りすると、線が細すぎてチョット使い物にならなかったです。

そんな時代にインターサウンドのプリアンプをある楽器店で目にしました。すでに売約済の品物でしたが、試奏させてもらい一発で気に入りました。当然予約を入れて手にしたのはその一ヵ月後くらいでした。今さんが使っていたタイプは初期型で、パネルの文字盤が黄色のモデルでした。私が買ったのはモデルチェンジ後の文字盤が白のタイプでした。

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黄色モデルはすでに生産中止でした。黄色モデルはプレミアがついて取引されていたみたいです。スタジオで有名だった鳥山君も一時黄色モデルを使っていました。

私が使ってみての印象は、とにかく音が太くて抜けのいいサウンドだったと言う事です。ライン録りをしても音痩せも無く、ジャズコーラスに通してもスタジオそのままの雰囲気の音が出ました。一応クリーンとドライブの2チャンネル仕様になってはいましたが、ドライブチャンネルは全く使い物にならないヒドイ音でした。しかしクリーンは本当に使える音で私のラックには無くてはならないプリアンプとして活躍してくれました。

その頃はすでにディレイ関係もデジタル化していて、最高に使っていた時で3台のディレイを同時に使っていた時期もありました。プリアンプのあとにディレイを繋いで使っていましたが、インターサウンドはそんな時にもギター本来の音を失わず、更にインターサウンド独特の乾いたクリーントーンを出してくれていました。

当時流行っていた音って、高域がアンプだけでは出し切れない部分の音を強調した音でした。そういった場合15~20KHくらいの音をいじれるプリアンプが本当に必要でした。シャリシャリの音って訳ではなく、張りのある高域が求められていました。特にプリアンプ無しで、ショートディレイなんか掛けると、中域ばかりが強調されてしまいバランス的にイマイチでした。

インターサウンドのプリアンプには現役の最後の最後までお世話になりました。このプリアンプ無しには私のサウンドは出せませんでした。

現役を辞める時にほとんどの楽器を処分しましたが、買った時の値段より遥かに高い値で売れたのは実はインターサウンドのプリアンプだけでした。
  1. 2008/02/25(月) 23:20:51|
  2. アンプ・エフェクター
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過去のライブ体験・マンハッタントランスファー編

マンハッタントランスファーのライブを見たのは、1980年だったと思います。私が20歳の時です。会場は中野サンプラザでした。長いバンド名なので、マントラで省略させてもらいます。実際にマントラと呼んでいるミュージシャン達もいた事ですし。

ライブの話しの前に何故マントラかと言うと、やはりジェイ・グレイドンの影響なんですよ。78~79年にかけてバッキングの世界でもアメリカ、特にロスのスタジオミュージシャン達の影響って大きくて、ラリー・カールトンあたりはスタジオもあまりやらなくなって来た時期で、日本でも「このギターは凄い」って言われるギタリストが数多く現れて来た時期でした。カルロスリオス・リッチージトー・ディーンパークス・ジェフミノロフ・等々です。当然ルカサーやランドー達でした。

その中でも当時群を抜いていたのは、ジェイ・グレイドンでした。彼の名前がクレジットにあるレコードは買い漁りました。そんな時一番話題になったのは、マントラ・マークジョーダン・スティーブキプナーあたりのレコードで、輸入盤で発売する前から評判が良かったので渋谷のシスコに行って予約(輸入盤)して手に入れました。(タワーレコードでは入荷が未定だった事とシスコの店員さんもその系統好きだったんで話しが弾んだんですよね)

ジェイ・グレイドンのギターははっきり言って、今までに無い斬新なフレーズと音の良さもチョット別格でした。コピーして、彼ほどコピーしづらいフレーズを弾く人も中々いませんでした。歌伴であれ程のインパクトのある彼のギターソロをコピーした事は私にとって大変為になりました。

ジェイ・グレイドンから入ってマントラのレコードを聴くようになりましたが、マントラは私の大好きなバンドになってしまいました。なんと言ってもグレイドンプロデュースの(半分はエアプレイでの相方のデビット・フォスターもプロデュースしていた様です)アルバム「エクステンションズ」は今でも私の好きなアルバムのベスト30には確実に入ります。

グレイドンのギターも素晴らしいですが、サックスプレーヤーのリッチー・コールの名演も見逃せません。リズム隊も当時のトトのジェフ・ポーカロとデビッド・ハンゲイトがサポートしていて、本当に素晴らしいサウンドでした。その次のアルバムも本当に素晴らしい出来でした。

そんな彼らの初の(多分ですが)日本ツアーがエクステンションズ発売後の1980年にありました。当時は有名なコンサートのチケットって職業柄、裏から手を回して手に入れてました。そのコンサートって、私がサポートしていた有名な歌手が引退してしまいその時のバックメンバーほとんど全員と見に行ったんですよ。マネージャーさんに頑張ってもらって全員分の並びチケットを取ってもらいました。会場もミュージシャンだらけでした。サンプラの中2階の喫茶店なんてあちこちのミュージシャン達がお茶をしていて、若手だった私はコンサート前に緊張していました。

ライブたるや私が想像していたボーカルグループのライブを遥かに超える凄いライブでした。ステージパフォーマンス・コーラスが完璧なのは当たり前ですが、サポートしていたミュージシャン達の腕前、ハンパではありませんでした。4リズムにテナー1本の編成であそこまでの音を出されると脱帽物です。知ってる名前はベースのアレックスブレイクと(渡辺香津美のロンサムキャットに参加したので知っていました)ドラムのバディ・ウイリアムスくらいでしたが、バンドのアンサンブルや歌伴におけるバンドとしての演奏や歌を引き立たせるバンドアレンジなど本当に勉強になる事ばかりでた。ハッキリ言ってあの時の演奏を聴いて私は落ち込みました。今までの自分の想像していた、ステージで歌をサポートするという事がどれほど凄い力量が必要かだと分かったのです。

ロスの知名度のそれほど高くないミュージシャンですらあれだけ凄い演奏が出来ると言う事を目の当たりにして、日本で仮にもお金を貰ってギターを弾いているという事が恥ずかしくて仕方がありませんでした。

コンサート後、落ち込んでいたのは私だけではありませんでした。一緒に行ったバンドメンバーほぼ全員が落ち込んで帰った覚えがあります。特にコーラスの方達の落ち込みと感激は凄かったです。

あの時のサンプラザでのライブは記憶の彼方ですが、のちに彼らが出したその後の日本公演のDVDを見る度に、あの時の感動と落ち込みが蘇って来ます。
  1. 2008/02/23(土) 23:03:57|
  2. 過去のライブ体験
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過去のライブ体験・プリズム編

楽器の話しやら業界の話しとは別に、私が今までに見て来たライブについても感想を書いておかなければ、と思い少しづつ記憶を辿って書いて行こうと思います。第1弾はプリズム編と言う事で。

プリズムのライブを見たのは、後にも先にも1回だけ。そのライブもプリズムがレコードデビューする前でした。1977年だったと思います。私も高校2年生でした。時期的には、ベックの「ワイアード」が出た後だったと思います。何故かと言うと1ステージ目と2ステージ目の休憩時間に和田アキラ氏が一生懸命ワイアードの中の曲を練習していたからです。(完コピと言うかレコードと全く同じに弾いていて驚きました)

何故プリズムを知ったかと言うと、私の通っていた高校は付属高校で大学の敷地内にありました。そんな訳で私も高校時代から大学生に混じって演奏をしていたんです。その中でも飛び抜けて上手かった大学生バンドがありました。のちにレコードデビューする事になる「スペースサーカス」でした。(当時はマハビッシュヌオーケストラの曲なんか練習していました)そんな先輩達にプリズムってバンドが今東京では一番上手んだよと言われ、「見ておいた方がいいよ」って言われたんですよね。

そんなこんなでなんとか渋谷の屋根裏でプリズムのライブが行われると調べて、一人でライブに出掛けた次第です(今に時代と違ってネットもないし結構大変でした、“ピア”なんかも未だ出ていなかったと思います)高校生の私にとっては屋根裏って雑居ビルの3階にあって、2階がピンクサロンだったもんでとても入りにくかった覚えがあります。屋根裏はその後何度も通っては色々な旬のバンドの演奏を目の当たりにした場所でした。ライブの無い日の夜なんかに行くと、思いがけないミュージシャンが酒飲んだりしてました。

雑談はさておいて、プリズムのライブはハッキリ言ってぶっ飛びました。狭いライブハウスであれ程の興奮を覚えたのは、あの時だけだったと思います。レコードデビューする前だったので、デビュー後のドラマーとは違う人が叩いていましたが、まずはドラム完璧。しかも私の知る限りドラムがステージ正面の一番前で叩いているのを見たのはプリズムだけでした。(音的には確かにドラムが一番前ってのは理にかなっていると思います)

ギタリストの私として、とにかく驚いたのは和田アキラ氏の早弾きにつきます。カウンターの一番前で目を凝らして見ていても、指が残像くらいにしか見えませんでした。今見れば、又違う感想を持つとは思いますが、なんといっても17歳の多感な時なので感激するしかありませんでした。

バンドのアンサンブルも、当時の私のレベルでは最高に感じました。エレピがあれだけの腕前の人は私は知りませんでした。今では久保田早紀さんの旦那の久米大作さんでした。

選曲が良かったのも記憶しています。サンタナの「ウェルカム」の中のユーイズザライトを完コピに近い形で演奏した上、当時大好きだった四人囃子のレディーバイオレッタをやってくれた事です。レディーバイオレッタを演った時だけでしたが、ゲストギタリストとして今は亡きルージュにいた故逆井オサムさんが登場していました。レディーバイオレッタは中学生の時にコピー済みだったので、事の他聞き惚れてしまいました。

デビュー前のプリズムを生で見れた事は、本当に貴重なライブ体験でした。その先の私のバンド感や音楽的方向など、色々と勉強になる事ばかりでした。ちなみに和田アキラ氏は、当時のトレードマークの黒のレスポールカスタムとグレコのレスポールサンバーストを2本使っていました。アンプは、ミュージックマン212を2台使っていました。(多分ローランドのCE-1を使っていたのでステレオにしていたと思います)

遠い記憶ですが、鮮明に覚えている素晴らしい演奏でした。
  1. 2008/02/18(月) 23:44:57|
  2. 過去のライブ体験
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私が使っていたエフェクター話①

エフェクターはコンパクト・エフェクトからラックマウント・タイプまで星の数程使った経験があります。

私がギターを始めた頃は、コンパクト系のエフェクターですら世に出始めた頃で、中学生の頃に続々と日本のメーカーもコンパクト・エフェクターを作り始めていた時代でした。中学生の時にエレキギターを弾き始め、やっぱり一番の問題点は“歪み”でした。ツェッペリンやパープルやベックの曲を弾くには、やはり歪んでない音では雰囲気が全く出ませんでしたので、歪み系のエフェクターを当然買う事になりました。

最初に買ったエフェクターは間違いなく Big Muff でした。簡単に言うとファズです。
とにかくギンギンに歪んで、ギター本来の音なんて関係無くビービー、ビービー歪んでました。自宅で練習していたので、小音量でしたのでとにかく蝉がアンプの中で鳴いている様な感じでした。気分的にはマーシャルで歪ませた音(マーシャルの音なんて知る訳も無かったはずですが)と同じくらいの気分で悦に入ってました。

中学卒業前に別の歪み系のエフェクターを手に入れました。多分ですが、出来たばかりのマクソンのオーバードライブです。チョット大き目の箱で、色はモスグリーンでした。Big Muffとは明らかに違う音でした。今で言うオーバードライブの初期型だったはずです。音量を上げた時の歪み具合が、子供の私にもいい感じだった事は鮮明に記憶しています。高校に入って暫くはこのエフェクターひとつで学際荒しに出掛けたものでした。(この学際荒しが将来のプロデビューに繋がって行くなんて夢にも思っていませんでした・・)

高校に入る前くらいから、色々な雑誌の有名なギタリストの足元に小型の赤や黄色やオレンジ色の見た事の無いエフェクターが並んでいるのをチラホラ見かけるようになりました。良い例が、クルセイダースの頃のカールトンや大村憲司さんの写真でした。赤い箱がやたらと気になり、楽器屋に通っているうちにナゾが解けました。MXRと言うアメリカのメーカーのエフェクターでした。当時は随分といい値段がしていました。赤い箱のダイナコンプでも3万くらいしたと思います。

前の日記に書いたように、渋谷のヤマハでES-335を手に入れる際に一緒にエフェクターも手に入れたんですよ。その時のエフェクターが全てMXRで、ダイナコンプとフェイズ90とディストーション+でした。(親に泣いて頼んでローンを組んでもらいました)

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MXRのエフェクターって当時は最先端の音で、ノイズの少なさ・エフェクトの掛かりの上品さ・ギターの音抜けの良さ・なんてのはメチャメチャ良くてビックリしました。この3種類のエフェクターはその後何年かは私と共に一緒に活躍してくれました。(3種類共超初期型のモデルだったので今ではプレミアがついているみたいです。)

79年くらいに当時は高嶺の花だったディレイを手に入れました。(マクソンが始めて出したラック式のアナログディレイADナントカと言うモデルで6~7万くらいだったと思います)当時はディレイと言えばまだまだテープエコー(エコープレックスやローランドのスペースエコー)が主流でした。値段もかなりの物で、テープの交換も大変らしいのでとても手が出ないシロモノでした。結局エフェクター3個にマクソンのディレイで随分仕事をしました。

その後数年で世の中のエフェクター事情も、アナログからデジタルに変わってしまいます。80年代になるとギターの世界もデジタル・エフェクトの空間系の音が主流になり、バッキング業界でも広がりのある音を求められ、エフェクターはじめギターやアンプに至るまで総取替えとなって行きます。

その時の話は次の日記で。
  1. 2008/02/17(日) 21:54:35|
  2. アンプ・エフェクター
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B.C.Richと私の付き合い

前の日記でストラトが私の元から1年足らずで去って行ったと書きましたが、一番大きな理由はストラトにあった訳ではなく、ストラトを買った直ぐ後に(3ヵ月後くらいでした)B.C.Richを手に入れた事が一番の理由でした。

Richを始めて見たのは、これも又テレビの歌番組で西城秀樹のバックを吉野藤丸さんがやっていて、藤丸さんが弾いていたのがRichでした。確かその時のドラムは山木秀夫さんだったと記憶しています。Richはスタジオミュージシャンの草分け的存在だった水谷公生さんが、かぐや姫のバックで弾いていたのを写真で見て知ってはいました。しかし現実に見たのは、藤丸さんのギターでした。なんとも言えない強烈な印象でした。ギブソンやフェンダーには無い新しい楽器って感じが凄くしました。

当時Richを置いてある店はほとんど無く、置いてあったのは代理店だった湯島にある“ミュージックストア”でした(今はもう無いお店かもしれないですね)。一度訪れて弾かせてもらいました。なんとも言えない感じで、本当に欲しいと思ったもんです。しかしです、定価が当時の値段で40万近くしたと思います。若かった私にはあきらめるしかない値段でした。

ところが、知人から六本木の“アン”で並行物が売ってるよと教えてもらいました。“アン”って今ではミュージックスクールで有名ですが、当時はスクールとは別に並行輸入の楽器なんかも売ってたんですよ。あまり知っている人はいなかったと思います。

あと意外と知られていなかったのは、河田町にフジテレビがあった頃フジテレビの隣にフジテレビ関係の楽器のリースで有名だった“サン楽器”なんてのもプロしか来ないけれど、凄くいい楽器が揃ってました。今では考えられない値段で、58年のレスポールとか59年の335とかビンテージ物のいいやつなんかを置いてあったんですよね。その59年の335って大村憲司さんが買ったという噂でした。

話しは脱線しましたが、“アン”で売っていたRichは並行物だった事もあり意外に安い値段で売りに出ていました。置いてあったのも、欲しかったイーグルのコアボディーだったので2、3日悩んで買う事にしました。こちらがそれです。

BC Rich_Eagle


新しい時代の新しい楽器って事が本当の第一印象でした。弾き易さも格別だし、出る音も何故かアメリカンな音が出ました。やたらと色々なスィッチが付いていていろんな音が出るようになっていましたが、使える音ってそんなに多くはなくて3~4種類くらいでした。

しかしその3~4種類がやたらといい音だったんですよ。その頃使っていたミュージックマンのアンプとはそこそこの相性でしたが、Richを手に入れて1年後くらいに買ったブギーのアンプとは抜群の相性でした。

結局何年間かは常に持ち歩くギターになっていました。このギターでかなりの数のオーディションを受けたものです。一番印象的だったオーディションは沢田研二さんのバンドのオーディションで、審査員の井上暁之さんに「チョット弾かせて」って言われた事です。そのオーディションでの一番の収穫は、日本のボンゾと言われる鈴木二郎さんと一緒に演奏出来た事です。若かった私にとってはとてもいい経験でした。3曲くらい一緒にやらせてもらいました。

最後に井上さんから「Gのブルースをやって」と言われ、20才の私は緊張して知っているブルースのフレーズを弾いた記憶があります。結局、最終審査には残りましたが、年齢が若すぎるとの事で落ちました。そのオーディションで受かったメンバーが、のちのエキゾチックスになっていったんです。

そんなこんなで、いつの間にか335の出番が無くなってしまったくらいです。手放して後悔しているギターの中の3本の指には間違いなく入ります。
  1. 2008/02/15(金) 21:50:46|
  2. ギター本体
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